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香川真司の歴史的ハットトリック 外国人選手の記録がもつ意味とは?
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3月2日、英国マンチェスター・ユナイテッドの香川真司がハットトリックを記録した。90年代のイタリアでプレーした三浦知良や中田英寿の時代と比べると、欧州における日本人サッカー選手の活躍ぶりには隔世の感がある。とても喜ばしい。
ただ、ニュースの以下の記述を読んで「う~ん」と唸った。
「アジア出身の選手がプレミア・リーグでハットトリックを記録するのは初めてのことだったが、公式サイトによると、英国およびアイルランド出身の選手以外がユナイテッドでハットトリックを記録するのは、クラブの長い歴史においても10人目の快挙なのだという。英メディアも『歴史を作った』と称えた香川の快挙。記録上でもユナイテッド史上に残る名選手と肩を並べている」
チームの公式サイトは英語、フランス語、スペイン語、アラビア語、中国語、日本語、韓国語の各国語バージョンがあるが、日本語版には香川のニュースが満載されている。
ぼくが「う~ん」と唸ったのは二つ理由がある。一つはアイルランド出身の選手を除外して英国と同等に扱っていることだ。アイルランドは英国の植民地だったが1921年には独立している。マンチェスター・ユナイテッドが19世紀後半に生まれたチームといえど、アイルランドが独立してからの年数が圧倒的に多い。
日本でのスポーツシーンで「韓国人を除く外国人選手の記録によれば」と但し書きするようなものだ。
二つ目は外国人だけの記録がどれほどの意味をもつのか。
日本のプロ野球の例で考えてみよう。ホームラン数の外国人選手ランキングは、日本人のホームラン数が減っている時に日本人が話題にするだろう。あるいはマイナーの国の出身者の活躍を母国が鼓舞するために使う。
プロサッカークラブのプレーヤーは実力一本でピッチに立つ(ことになっている)。香川が英国の名門チームで活躍していることをまっとうに評価するに、こういう不自然なランキングは違和感を抱かせるだけではないか。
なにせオリンピックが「国別でメダル数を競い合うって時代錯誤じゃない?」とも言われる時代だ。
しかし、すべてのニュースで国籍を取り上げるのが無意味というわけではない。
海外で災害や事故があった時の「被災者に日本人の名前はありません」という報道だ。これに対してはかなり批判も多い。「日本人がいなかったから良かったと言っているようで視野が狭い」という。
が、「イタリア人はいませんでした」というコメントも聞くから、日本の報道だけを責めることでもない。それに、「日本人が含まれていなかったから良かった」ということではなく、日本語のニュースの視聴者には関係者が多いとの前提での表現だ。イタリア語であればイタリア人が視聴者のメーンである。
よってこういう表現が一概に悪いとは言えない。それでは今後、「国による識別」をどう考えると良いのか。
オリンピックに対して言われるように、国対抗のメダル競争は「今の時代に合っていない」との認識が出始めている。サッカークラブに外国人選手がさまざまに入り組んでいるのを見馴れた目には尚更だ(それでいながらW杯は盛り上がるのだが)。
国境を越えた活動がグローバル化するなかで、国を単位とするのが障害になることも多い。多国籍活動においては、「輸出」「海外進出」という言葉も実態に合っていない。
例えばタイで生産している日本のメーカーのクルマがインドネシアで販売される状況に、これらの言葉はしっくりこない。EUや今後のASEAN統合をみるまでもなく、従来の国の枠組みは実際に見直されつつあると考えてよい。政治的経済的な単位が変わりゆく。
だが、この現象によって「地域」がなくなるわけではない。
山のなかに住む人と海のそばに住む人の考え方や行動パターンが違う。「私は風邪をひいたので会社を休んだ」という順序で言葉を話す人達と、「私は会社を休んだ。なぜならば風邪をひいたから」と説明する人達の間には違った動作の特徴がある。地理や言語の制約はどうしてもかかる。
ボーダーレスの世界になり国の概念がどう変貌しようが、人間社会は環境の産物であることを忘れてはならない。