77年のトヨタ自動車の歴史で初めて、外国人副社長に就任。5人の日本人副社長とともに豊田章男社長を補佐する。17日の就任会見では「真のグローバル企業として真の競争力獲得に役立ちたい」と語った。
フランス出身。大学で機械工学を学び、ルノーに入社。直後に課された約20カ月の製造現場での研修で、現場を知ることの重要性を実感した。トヨタへ転じたのも「(現場に出向き自分の目で事実を確認する)『現地現物』の文化があり、現場への情熱がある」と感じたからだ。
トヨタでは仏新工場の建設に携わり、欧州本部長として赤字だった欧州事業の立て直しにも奔走。本社の副社長就任にあたり提示されたのは日本や北米、欧州など主要市場を統括する第1トヨタのトップだった。
「日本ですか」。おひざ元を任されることへの戸惑いもあったが、「本当の強みは創業の地日本にある。強みを世界に展開することができる」と引き受けた。
トヨタへ転じる際に周囲は「日本企業で責任は与えられない」と反対したが、自身の昇進で日系企業への評価を覆した。ただ「世界中に工場があることが真のグローバル企業ではない。世界のどこにいても、お客の多様化するニーズに応えることが重要だ」と語る。
上司を喜ばせるために働かない、会社にとって正しいことをやる-。みずからの経営方針10カ条を紙に書いて持ち歩く。副社長就任にあたり豊田社長からつけられた唯一の注文は「変えないでほしい」。自身の経営姿勢についてだと受け取った。「全世界を回って、違った目線を提供できる。これからも率直な物言いを続けたい」。時にはうるさがたの“番頭”になることも辞さない考えだ。