安藤美姫(みき)さんがリンクに姿を見せたとき、時計の針は深夜の午前1時半を回っていました。新横浜スケートセンターで1人きりでの練習。昨年(2013年)4月に長女を出産し、7月にテレビの報道番組で公表した後のことです。彼女は競技復帰に向けて自分を追い込んでいました。
私が小学生だったとき、地元の愛知県大会で「2級にすごい子がいる」という評判が立っていました。それが美姫でした。私は違う級だったのですが、2学年下の彼女はすでに3~4級で求められる2回転ジャンプを簡単にこなしていました。さらりと滑って2級の部であっさりと優勝。今でも記憶に鮮やかに残っています。
初めて一緒になった海外遠征は、私が高校1年で彼女が中学2年のときのジュニアのグランプリ(GP)ファイナルでした。この大会で彼女は優勝。そのときのエキシビションで、後に女子初の4回転ジャンパーの称号を得ることになる彼女は、3連続3回転ループジャンプをやってのけたのです。
まさに才能あふれる逸材。当時、指導をしていた小塚崇彦(こづか・たかひこ)選手(トヨタ自動車)の母、幸子コーチが「才能がすごすぎる」と話していたのを立ち聞きしたこともありました。