今回のテロは、北アフリカに広がるイスラム過激派の脅威を改めて浮き彫りにした。約23年続いたベンアリ独裁政権が2011年1月に崩壊し、欧米から民主化の「優等生」と称されたチュニジアで、なぜイスラム過激派が伸長していったのか。要因の一つは、抑圧が緩んだアラブの春の「ジャスミン革命」後、多くの若者らが「聖戦」などの過激思想に感化されていったことがあげられる。
チュニジアでは革命後、議会選でイスラム原理主義組織ムスリム同胞団系のアンナハダが躍進し、暫定政府の主導権を掌握。旧政権期には厳しく監視されていた過激なイスラム勢力も活動の自由を得て、アンサール・シャリーアなどの組織を結成し、国内外の組織と連携を深めた。
これに対し、フランス統治時代の影響から世俗主義が根強いエリート層はアンナハダと激しく対立。14年の大統領選で世俗派エリートの代表格であるカイドセブシ氏が当選したことでアンナハダは求心力を低下させ、過激派に対する取り締まりも厳しさを増した。