脱原発は志ある事業
講演では、脱原発社会の実現を多くの国民が共感できる壮大で夢のある事業と位置づけた。
昭和40年代後半の石油ショック以後、日本が地道に省エネなどの技術開発に力を入れ、環境先進国になった例を挙げ、「日本人はピンチをチャンスに変える能力に優れている」と強調。九州電力川内原発1号機(鹿児島県薩摩川内市)が再稼働した8月までの約2年間、原発ゼロが続いたが、「寒い冬も暑い夏も停電は起きなかった。脱原発宣言したドイツでも何基か原発が動いている。原発ゼロでやっていけるのは日本だけ」との認識を示した。
その上で、「自然と共存しエネルギーに代えて国民を豊かにする社会の方がはるかによい。原発ゼロは志のある事業。やるべき価値のある仕事で、あきらめずに続けていく。原発の負の遺産を将来に負わせてはいけない」と訴えた。
反原発団体の姿も
今回の講演は、地元の環境コンサルティング会社などでつくる市民団体「愛媛のエネルギーを考える会」が主催。四国電力伊方原発3号機(愛媛県伊方町)が新規制基準に適合し、再稼働に向けた地元同意の動きが本格化する中での開催となった。