「プライバシーはまったく存在しない」習近平政権がデジタル監視を強める本当の理由

    ■中国共産党がもっとも恐れているもの

    ネット世論の追及により、地方官僚が解任された事例も少なくない。トカゲの尻尾切りとはいえ、選挙で政治家を選ぶ仕組みはあるが機能していない中国において、民意が政治に影響を与えたことに、少なからぬ人々が衝撃を覚えた。

    今から振り返ると、インターネットで政治が変わる、政治転換が起きるなど、現実離れした話のようにも思えるが、少なくとも中国共産党が強い危機感を覚えていたことは間違いない。

    1989年の天安門事件以後、彼らがもっとも恐れていたのは「和平演変」(平和的体制転換)である。21世紀に入った後も、旧ソ連国家で起きたカラー革命に触発され、体制維持は最優先の課題となった。かくして、12年に誕生した習近平体制においてネット世論は最重要課題の一つとなった。

    その結果、人員の動員とテクノロジーとを組み合わせた検閲体制の強化が進められていく。ネット世論分析師が国家資格となったのは13年のこと。これもまた習近平体制における検閲強化の一環というわけだ。

    ■国有メディアと民間IT企業が世論監視ソフトウェアを展開

    中国全土津々浦々(つつうらうら)の政府部局や国有企業に資格を持った担当者が配属されただけではない。彼らが使う世論監視ソフトウェアも進化している。その担い手は大きく二つの系統に分けられる。中国共産党の機関誌である『人民日報』傘下の「人民網世論データセンター」に代表される国有メディアが第一の系統である。

    そして、第二の系統が、メッセージアプリ大手のテンセントや検索サイト大手のバイドゥなどによるIT企業だ。こうした企業は何も中国共産党のために、ゼロから世論監視ソリューションを構築したわけではない。インターネットの発展はビッグデータという新たなビジネスのリソースを生み出した。

    インターネットの閲覧者がどのような人物かをデータから解き明かし、もっとも適切な広告を表示させるターゲティング広告は有名だが、それだけではない。インターネットの書き込み、ネットショッピングの買い物履歴、ネット金融の契約など、さまざまな情報から個人の特徴を分析する技術が急速に成長している。

    さらにインターネットで発信される膨大な情報を収集、分析する技術も広く使われるようになった。一例をあげよう。中国発のネット専売ファストファッションブランドにSHEIN(シーイン)がある。

    最先端のデザインを手頃な値段で販売することから米国、欧州、日本の若者たちの間で人気だ。SHEINの強みは安さだけではない。他社の販売サイトやSNSの分析を通じて、最新の流行デザインをいち早く発見し、それをすばやく市場に投入するというデータ分析企業としての強みも兼ね備えている。

    民間企業が自らのビジネスのために発展させてきた消費者分析やネット情報分析の技術を、少し変更するだけで中国政府がネット世論監視ソリューションとして活用できる。今やGAFAと並び称される存在となった中国IT企業の実力が世論監視の分野でも発揮されているわけだ。

    ■同僚とのグループチャットの内容すら検閲されている

    習近平時代のネット検閲の特徴をあげるならば、大きな騒ぎになる前に、まだ予兆の段階からトラブルの芽を摘み取ろうとする点にあるだろう。

    胡錦濤時代においては抗議集会を開く、デモを呼びかけるといった直接行動は取り締まられたものの、政府に苦言を呈する、あるいは現状に疑義を申し立てるようなメッセージがあっても問題視されることは多くなかったのだ。

    習近平時代の変化、それを象徴するのが、同僚とのグループチャットにSARSの感染者報告をしただけで行政処分を受けた李医師の事件だろう。予防的なネット検閲、言論統制が実施されるようになったわけだ。

    ここまで習近平体制下で起きた中国のネット検閲体制の強化について語ってきた。おそらく読者の方には一つの疑問が浮かんでいるのではないか。すなわち、「ここまで言論を監視される社会は息苦しくないのか? 中国人は反発しないのか?」という疑問だ。

    ちょっと気になる情報を同僚とシェアしただけで処分される……李医師のような事態に遭遇すれば、誰もが「こんなことまで見張られているのか」と検閲の恐ろしさを感じるだろう。だが、こうした経験をする人はごくごく一部に過ぎない。一般の人が普通に生活し、普通にインターネットを使っているだけでは問題となることはほとんどない。

    それどころか、中国共産党が検閲を強化しているという事実にすら気づくことはない。そう、検閲はますます巧妙になっている。

    ■検閲があったかどうかすら分からなくなっている

    かつてはインターネット上の記事が検閲によって消去されると、「この記事は見つかりません」という記述が残されるなど、検閲によって削除されたという痕跡が残った。記事そのものを読むことはできなくても、検閲があるという事実、そして中国共産党が何を問題視しているかを感じとることができた。ところが今では記事がなくなったという痕跡すらわかりづらくなっている。

    以前、私は中国に住む友人にウイグル問題に関する記事をメッセージアプリで送ったところ、いつまでたっても返事が来ない。興味がなかったので無視されたのかとも思ったが、念のために記事が届いたか問い合わせてみると、「何も届いていない」との返答だった。

    「この記事は違法な内容を含むため送れない」「問題がある記事のため削除した」といったメッセージが出れば検閲の存在は誰の目にも明らかだが、こうしたわかりづらい手法を使われれば、果たして検閲があったのかどうかすら、わからなくなってしまう。

    ネット掲示板やウェブメディアの記事のコメント欄もそうだ。中国共産党を支持するメッセージばかりが並んでいるので、ともすると中国人はみな熱烈な愛国者なのかと受け止めてしまいがちだが、体制批判のメッセージはひっそりと隠されて目につかなくなっているだけだ。

    面白いのはメッセージを書き込んだ当人にすら検閲されたことが通知されない点だ。反応がないので誰も自分のメッセージに興味を持たなかったのかと誤解し、次第に体制批判のメッセージを書き込むことすらやめていく。こうした目に見えない思想統制が広がっている。


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