入山章栄と落合陽一が語る 都市のあり方と持続可能性の結びつき

    テクノロジーの発達や価値観の変容、新型コロナウイルスの流行などが要因となり、近年は生活や暮らし、働き方の選択肢がより広がりを見せています。地方移住や二拠点生活といった選択も、以前と比べてより取りやすくなったのではないでしょうか。

    そうした潮流に伴い、私たちにとって「都市」が持つ意味や価値にも変化が生じています。住む場所や訪れる場所、さらには働く場所として、これからの都市はどのようにあるべきでしょうか。その問いに対する考えを深めるべく、TMIPは2021年12月13日に年末特別企画となる「入山章栄・落合陽一初対談~都市とイノベーション」を開催しました。

    登壇いただいたのは、早稲田大学ビジネススクール教授・TMIPアドバイザーの入山章栄さん、ピクシーダストテクノロジーズ株式会社代表取締役CEO・筑波大学准教授の落合陽一さんです。都市という概念の歴史にも触れながら、より持続可能(サステナブル)な社会の実現に向けたヒントを探る時間となりました。

    「都市の移動」によって、サステナブルな社会の実現へ

    新型コロナウイルス流行の影響により、これまでのように人々が都市に集中する機会は減少しました。また、リモートワークの普及を通じて自律分散的な協働がより容易となり、時間や場所の制約にとらわれず働きやすくなったことで、都市から地方への移住に関心を持つ人も増えています。

    「今後、都市が持つ意味や価値はより薄れていくのか。もしくは、より重要な意味を持つようになるのか。落合さんはどのようにお考えでしょうか?」という入山さんからの問いかけに対し、落合さんは日本の歴史に触れながら考えを述べました。

    落合さん「日本において都市という概念が生まれたのは、一般的に農耕が始まってからだと言われています。中でも、人々が現在の「都市」に定住するようになったのは、ここ150年くらいのことだと思います。

    かつて明治以前の日本では、鎌倉や京都、江戸などに都を移す「遷都」が繰り返されました。これは日本全体における環境資源を適切に保ち、中長期的な時間軸で、人々の生活をよりサステナブルにする役割も担っていた。しかし、時代が進むにつれて、多大な環境負荷をかけながら都市の公共インフラを築いていった結果、それ以前に比べて持続可能性は薄れてしまいました。

    本来であれば、かつて遷都を繰り返したように、東京以外のさまざまな地方に都市を移しても良いはずです。しかし、さまざまな理由から今すぐの実現は難しい。都市も含め日本全体に今求められているのは、かつてのように環境負荷をかけ過ぎずに、人々が安心して生活できる環境を整備することだと思います」

    続けて、移動を繰り返しながら生活を営む事例として、落合さんは「飛騨高山の縄文時代の狩猟採集民族」について紹介しました。

    落合さん「飛騨地区の面白いところは、縄文時代から弥生時代の初期まで約1万2000年間、狩猟採集民族がごく限られた地域で回遊しながら住んでいたことです。本来、狩猟採集民族は獲物がなくなると別の地に移動しますが、リソースが多かったのか飛騨に住んでいた狩猟採集民族は数年から数百年の単位で狭い場所を何度も移動しながらも、基本的には同じ地域に止まって暮らしていた。移動の繰り返しによって適度に環境資源を回復させながら、地域の持続可能性を高めることによって、定住を実現したのです」

    入山さん「モンゴルに暮らす人々もまた、家畜の餌を求め生活拠点の移動を繰り返しながら暮らしています。最低限の物だけを持つ質素な生活を送っているからこそ、可能な生き方とも言えます。これが結果として、モンゴルという国全体のサステナビリティを高めることにつながっているのかもしれません。都市自体の移動と、それに伴う人々の生活様式の変化という点に、都市のあり方を考えるヒントがあるのではないでしょうか」

    「定住する遊牧民」から、より遊牧民のような暮らしへ

    この後話題は「都市の移動」から「人々の移動」へと移っていきました。落合さんは「都市に多くの人々が定住する構造は、国全体で見ると環境負荷など重たい犠牲を払っていると言えるのではないか」と話します。


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