その代田博士の面接を受けて入社した最後の世代の一人が、ヤクルト400につぎ込まれた主要な技術に関する研究を積み重ねてきた中央研究所の松岡良彰主席研究員だ。「代田博士は研究では厳しいと聞いていたが、会うと優しい人だった。ヤクルトレディのような現場の人と話をするのを最大の喜びとしていた」と振り返る。そのうえで、「ヤクルトには、『もうけるより役に立つことをしろ』という代田博士の思いが受け継がれてきた」と強調する。
広告を手がけてきた広告部制作課の杉田宏之課長は、広告代理店から転職し、ヤクルト400の発売直後に入社。「世界の人々を健康にするという会社の理念や哲学に共感できた。自分たちでつくった商品を自分たちで売れる喜びと、子供たちに胸を張って言える事業に関わる幸せがあった」と強調する。
北海道、東京、神奈川と、宅配を行う販売会社と直接関わる支店を経験してきた宅配営業部宅配企画課の水島賢悟主事は「東日本大震災では『絆(きずな)』という言葉が改めて認識されたが、ヤクルトではヤクルトレディとお客さまの人間関係を重視してきた。良い商品があって、それを伝える人の絆が重要だ」と言う。
開発部開発課の増田智之主事は「各部署がそれぞれ、ばらばらに仕事しているように見えて、ヤクルトの事業のおもしろさや独自性、哲学に共感するという共通の思い、一貫性があった。創業の原点を体現する商品が『ヤクルト400』だった」と指摘する。