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西鉄国際物流事業本部の前身となる「航空輸送課」が誕生したのは、戦後まもない昭和23年だった。
前年の22年9月、世界最大の航空会社だった米パンアメリカン航空(パンナム)が、連合国軍総司令部(GHQ)統治下の東京・羽田に就航した。
これに伴い、パンナムが貨物の集荷や乗客手続きなどを担う国内代理店を探していたところ、GHQは「戦争被害が比較的小さかった」という理由で、西日本に拠点を置く西鉄、阪神電鉄、京阪神急行電鉄(後の阪急電鉄)、近畿日本鉄道の私鉄4社と日本通運(日通)を推薦した。
パンナムは「西鉄には九州を任せ、関西は阪急、関東は直営企業に」という棲み分けを考えていたようだが、西鉄第5代社長、野中春三(故人)=第7代社長にも就任=は、鉄道省(現国土交通省)出身だけにこう考えた。
「これからも西鉄が飛躍していくには地元・九州だけを見ていてはダメだ。市場が大きい東京や関西でも勝負しなければ成長できない…」
運もよかった。日通が米ノースウエスト航空の代理店業務を請け負うことが決まったことから、パンナムにとって東京は空白地帯となった。国内最大手の東京急行電鉄(東急)が戦後の分裂劇の渦中にあったこともあり、西鉄は23年11月、パンナムの東京、関西、九州の3地区の代理店を請け負うことができた。