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だが、西鉄の国際物流事業は、40年を境に失速し始める。背景には本業の不振があった。
マイカー時代の到来により、収益の柱だった福岡、北九州両市での路面電車が赤字に転落したのだ。路面電車利用者はピーク時の昭和36年から10年余りで半減した。
「航空機時代」が本格到来する時期に、国際物流事業への投資が抑えられてはライバル企業とは戦えない。47年の日中国交正常化で日中間の貨物・旅客需要の急増も見込まれたが、この事業拡大の機運にも乗り遅れた。
加えて航空貨物の「単独混載事業」に取り残されたことも大きい。
30年代までは、複数の荷主の荷物をまとめて運ぶ「混載」は、共同取り扱いが主流だったが、40年代以降、大手は1社で混載を担うようになった。ところが、当時の西鉄にその余力はなく、ライバル企業に急速に水を空けられた。