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西鉄が国際単独混載に踏み切ったのは、58年3月だった。日本企業で5社目の参入であり、すでに国際物流の取り扱い量は業界5~6位に沈んでいた。遅きに失したといえる。
国際物流事業が再び「攻め」に転じるのは、後に第12代社長となる大屋麗之助(90)が54年に専務となり、国際物流事業(当時は航空営業部)を統括するようになってからだ。
「海外ではいくらでも伸びる余地がある。本社に顔を向けることはいらん。どんどん投資するから遠慮せずに世界と仕事をしろ!」
大屋は航空営業部社員にハッパをかけた。大屋は技術職出身でバス事業などの運輸畑が長いが、国際物流を「運輸、不動産に続く第3の柱にしなければならない」と考えたのだ。
西鉄は、単独混載進出に見合うだけの取り扱い量を確保するため、世界各国の有力な物流事業者で組織するWACOグループに加盟し、海外ネットワークを広げた。売上高は、57年度の50億円(西鉄本体の4・7%)が、翌58年度は138億円(同11・8%)にはね上がった。
56年から英ロンドンに駐在し、平成3年に現地法人の初代社長に就いた高木栄二=現常務・国際物流事業本部長=も大屋の薫陶を受けた一人だ。
「大屋さんはロンドンにも度々訪れ、家族も一緒に食事をごちそうになりました。いつも『思い切ってやれ』と励まされ、まるで独立会社のように我が道を行かせてくれました」
大屋は昭和60年に社長就任すると、西鉄福岡(天神)駅周辺開発「ソラリア計画」を断行した。現在の西鉄の路線を敷いた人物と言っても過言ではない。