「裏付けが甘い! 誰がいつ何を考え、どのように行動するのかを、もっとデータを集めて効果を検討しないとダメだ。もう一度計画を練り直せ!」
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昭和21年夏、博多湾の砂浜をスコップで必死に掘り起こす男たちの姿があった。楢橋が肝いりで新設した西鉄車両復興課の社員らだった。砂浜に埋まった旧日本軍の軍用トラックを掘り起こしていたのだ。
男たちはトラックを掘り出すと工場に持ち込み、痛んだ部品を修理した上で、荷台に簡素なイスを取り付けた。屋根代わりに、戦時中に軍の練習機の機体に使用していた分厚い布をかぶせた。こうして幌(ほろ)馬車のような簡易バスが完成し、市民からは「珍型バス」などと呼ばれた。
こうした社員の苦労により、西鉄は昭和23~25年の3年間に幹線だけで36路線を開通させた。この時に運行を始めた福岡-小倉、福岡-日田などの都市間ルートは、後年の高速道路整備により時間が大幅短縮されたこともあり、現在も西鉄バス事業のドル箱路線となっている。
25年度の運行実績は679台、年間走行距離計1691万キロ、年間乗客総数は延べ4937万人。5年前の数倍に跳ね上がった。路面電車と鉄道に次ぐ「第3の事業」に過ぎなかったバスは、27年度には最大の営業収益を稼ぎ出す存在に成長した。