だが、昭和40年代に入ると一転、バスは「冬の時代」を迎える。乗客数は39年度をピークに減り続け、49年度は4億人まで落ち込んだ。
原因は急速なマイカーの普及だった。市街地では交通渋滞が慢性化し、バスの目的地までの所要時間は増えるばかり。行政にバスは「邪魔者」と見なされ、福岡や北九州両市の中心部では渋滞緩和策として運行回数を制限された。
38~45年に第9代社長を務めた楠根宗生(1901~1989)と、45~56年の第10代社長、吉本弘次(1912~1990)は逆風の中、バスのワンマン化による経営効率化を進め、50年までに車掌を全廃した。
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この時代、明るい話がなかったわけではない。
昭和48年11月16日に福岡-熊本間の九州自動車道が完成した。西鉄は翌日から長距離バス「ひのくに」のルートを国道3号から九州自動車道に変更した。
6年後の54年、福岡-北九州間も高速道路で結ばれた。西川は常務、専務として高速バス拡充にバス事業の命運をかけた。「高速路線を全国に伸ばせ! まずは大阪、次は東京だ!」。西川は部下にこう号令をかけ、58年に福岡・北九州-大阪間の夜行バス「ムーンライト号」を就航させるなど人気路線を次々に生み出した。