アウトウニオンもやはり、自らの名を世界に知らしめるべく、闘いの場に打って出た。当時グランプリレースを席巻していたのは、フランスとイタリア。ここでアウトウニオンはドイツ国家の援助を受け、伝説の「Pワーゲン」を製作した。
Type Aから始まったPワーゲンはType Dまで作られたが、一番有名なのは、37年のType Cだろう。伝統の16気筒エンジンを搭載したType Cは、ベルント ローゼマイヤーの手によって、なんと時速406.3キロの最高速度を記録。また3つの世界記録と、17個もの国際記録も樹立した。
しかし好調なアウトウニオンに立ちはだかったのは、ライバルではなく2度目の戦争だった。第二次世界大戦後、敗戦国となったドイツ。アウトウニオンは西へ新天地切り開く。その地こそが、現アウディの本拠地であるインゴルシュタットである。
アウトウニオンはフォルクスワーゲングループの傘下となり、再出発を果たす。生産車としては72年に「Audi 80」が欧州カー・オブ・ザ・イヤーを獲得し大ヒット。続く「Audi 100」では北米進出も果たした。
◆80年に伝説の名車誕生
そして、80年。伝説の名車「Audi quattro」(クワトロ)が誕生。Audi 80のボディーに、200馬力のターボエンジンを搭載したこのクワトロは、センター・デフを内蔵したフルタイム4WD方式を採用したことで大きな話題を呼んだ。翌81年からはWRC(世界ラリー選手権)にデビューし、82年と84年のタイトルを獲得。「ラリーは4WDターボでなければ勝てない」という定説を作り上げたのであった。