■世界恐慌に4つの“輪”で立ち向かう
■4WD採用のクワトロ、ルマンで活躍
常に最先端の技術で、モータリゼーションをリードしてきたアウディ。そしてその高い技術力は、レースという舞台で常に披露されてきた。闘いの最前線で技術を磨き、市販車へと投入する。市販車の技術を昇華させ、闘いの場へとこれを持ち込む。まさに「レースは技術の実験室」だ。切っても切れないレースとアウディの間柄を、歴史を交えながらここに紹介する。
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◆レースで技術力磨く
アウディの歴史は、常に技術革新とその証明で成り立っている。
アウディの祖といえるアウグスト ホルヒ(1868~1951年)は、今からおよそ114年前の1899年、ドイツのザクセン州ツヴァイッカウで、アウディの前身となる「ホルヒ社」を設立。根っからの技術者であったホルヒは、1900年という早い段階から自動車を造り始め、まだ他が馬車に毛の生えたようなクルマたちを作るなか、2.5リットルのエンジンを搭載した「Type10/12PS」を完成させるなど、ドイツ国内のモータリゼーションをリードした。
その後ホルヒは経営方針の違いからホルヒ社を離れ、新たに会社を設立。これが第1期「アウディ」である。アウディとは、ドイツ語「ホルヒェン」(聞くの意味)を、ラテン語読みしたものであった。
1929年には「世界大恐慌」が巻き起こり、DKWとアウディは、32年にホルヒ、ヴァンダラーと合併。「アウトウニオン」(自動車連合)を設立し、世界恐慌に立ち向かったのであった。4社が合併して作られたことから、そのシンボルは「シルバーフォーリングス」となった。これこそが、現在のアウディに引き継がれるエンブレムなのである。
自動車の技術力を磨き、それを宣伝するのはいつの時代もレースだ。