関電初の原発となる美浜1号機の運転開始に至る道のりは、今も関電の語りぐさだ。後に“12人の侍”と呼ばれる若手技術者たちが渡米し、原発の運転方法や理論を習得。帰国後、社員にスパルタ教育を施して理論を叩き込み、また独自に日本語版のテキストをつくって技術を伝えた。一からの手作りで日本の原子力発電の黎明期を支えたことは、確かにパイオニアの名にふさわしい。
“強さ”の源泉
美浜1号機は45年8月、大阪万博の会場へ送電に成功。11月には東京電力の福島第1原発との先陣争いを制し、営業運転を始めた。原子力専業の日本原子力発電を除くと、国内電力会社初の原発。その後、関電は高浜、大飯(ともに福井県)と原発を新設し、販売電力量の約半分を原発でまかなう体制を構築した。
原発が生み出す低コストの電気は、関電の競争力の源だった。東日本大震災前の電気料金は、全国でほぼ最低水準。大口顧客向けで始まっている電力小売りの自由化でも武器となるはずだった。