
姫路モノレール運行当時の高尾ビル。大将軍駅がビル内部に設置されていた(姫路市提供)【拡大】
市が手柄山駅を再利用して姫路モノレールの車両を常設展示する手柄山交流ステーションの青木正典さんは、こう解説する。
しかし、交通問題解消に端を発した壮大な構想は、現実の高い壁にいきなり直面することになった。
赤字続きで8年で休止
姫路モノレールの車両は米ロッキード社製で、航空機の製造技術を活用。アルミ合金を使用することで車体の軽量化と強度を両立させた当時としては最新鋭の「未来の乗り物」だった。
41年5月に開業した姫路モノレールは、姫路大博覧会の会期中、3両編成で手柄山と姫路の間を大勢の乗客を乗せて行き交い、にぎわいをみせていた。
しかし、6月に博覧会が終了すると客足は一気に低迷。当初の予想では年間126万人の乗客数を想定していたが、41年度の乗客は想定の3分の1の約40万人だった。しかも同年度がピークで、乗客は年々減少して赤字が当たり前の状態に陥った。モノレールの軌道がビルを貫くユニークな外観を持っていた唯一の中間駅「大将軍駅」は姫路駅からの距離が近すぎたこともあって利用客が伸びず、43年1月に閉鎖された。