
姫路モノレール運行当時の高尾ビル。大将軍駅がビル内部に設置されていた(姫路市提供)【拡大】
鳴り物入りで登場したモノレールの経営失敗の影響は大きかった。
旗振り役の石見元秀市長は42年の市長選でモノレール反対派の候補に敗れ、表舞台から退場した。期待を背負って走り出したはずのモノレールは、いつのまにか一部の市民から“お荷物”として疑問視される存在へと変わってしまったのだ。
増収を図るため、大勢の観光客が訪れる姫路城と姫路駅をモノレールで結ぶ延伸案も計画されたが、資金面の問題で頓挫。赤字が解消されることはついになく、モノレールは49年に休止、54年に廃止された。
残された遺構、どう生かすか
モノレール廃止後も、一部の軌道や橋脚部分は財政難などの理由で撤去が進まず、長い間放置された状態で“廃虚”になっていった。一方で、古代遺跡のような橋脚のただずまいにひかれて訪れる人も多く、近年こうした廃虚的な景観を新たな価値でとらえ直す動きも生まれている。
産業遺産に詳しい近畿大理工学部の岡田昌彰教授(景観工学)は「世界遺産に登録された長崎県の軍艦島に象徴されるように、廃虚と文化財を結びつけて考える見方が出てきている」とした上で、築50年を迎えた姫路モノレールの遺構は「負の遺産」ではなく「土木遺産」「文化財」になりうる潜在力を秘めた存在であると指摘する。