
高知市内で創業した高知技研コンサルタント。公害対処を看板に掲げていた【拡大】
「『サイレントパイラー』がこの世に出ていなければ、技研製作所はなかっただろう」
同社創業者で社長の北村精男(あきお)がこう断言するサイレントパイラーは、建設公害である振動・騒音を排した画期的な杭(くい)打ち機。
その誕生には、北村が常に口にする「必要は発明の母」そのままの体験と出会いがあった。
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昭和42年、当時26歳だった北村は、技研製作所の前身「高知技研コンサルタント」を創業、高知市内に事務所を構えた。高校卒業後身につけた建設機械の操作やメンテナンスなどの技術をもとに、主に建設機械を使った工事業を手がける一方、泥の浚(しゅん)渫(せつ)などの「公害対処」を看板に掲げた。
サイレントパイラー誕生への転機となったのは45年に、高知を襲った台風10号だった。
最大風速55メートル、台風接近が満潮と重なった高知沿岸では堤防が決壊し、高知市内は広範囲で浸水。高知技研コンサルタントの事務所は「屋根が吹き飛び、腰の高さまで浸水」するなど、大きな被害が市内のいたるところで発生した。
台風一過、護岸や下水道などの復興工事の注文が引きも切らない状況となった。高知技研コンサルタントも主力の杭打ち機を使って多くの工事を手がけた。しかし、繁忙の一方で深刻な問題が生じていた。