
高知市内で創業した高知技研コンサルタント。公害対処を看板に掲げていた【拡大】
時あたかも、42年に「公害対策基本法」が施行され、反公害の機運が高まっていた。杭打ち機は、戦後復興の“槌音”となる一方、振動と騒音の被害が、国民生活をおびやかす「公害発生機」だった。住民や住宅の被害のみならず、ハウス栽培の花が落ちたり、農作物の収穫量が減少したり、鶏が産卵しなくなったりと、影響は多方面に広がっていたのだ。
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台風10号の復旧工事現場では、杭打ち機の振動と騒音に対する住民の怒りのほこ先が、高知技研コンサルタント社員にも向けられた。
「棒をもって追いかけられたことがあった」。追いかけてきたのは、夜間勤務の料理人。昼間、工事の騒音と振動に悩まされ寝れないことへの不満が爆発したのだった。「通りすがりの住民に、『またお前か』と舌打ちされた」こともあった。
業績は好調な半面、会社の将来に危機感を募らせ始めた北村は痛切に感じていた。「どこかに振動と騒音を出さない杭打ち機がないものか」
=敬称略
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首都直下、南海トラフの地震や多発する水害の危機が迫る中、独創的な工法が注目を集める「技研製作所」は創業50年を迎えた昨年、東証1部上場を果たした。この連載では、北村精男氏が一代で興した同社が、世界企業として発展してきた半世紀を追う。