「戦前、戦中、戦後、『良い曲を作る』という父のスタンスは変わらなかった。ただ、戦時中の曲は短調が多い。勇ましい歌詞でも庶民の心情をメロディーでくみ取ったと思う。誰だって本当は戦争に行きたくなかったはずですから」
正裕さんが物心ついた頃、裕而さんはドラマや劇、映画などの作曲に明け暮れていた。自宅2階で静かに五線譜を走らせる姿が印象に残る。酒は飲まず、食事時に階下に下り、終えると2階に上がる。しかし、スポーツは苦手なのに、卓球やキャッチボールで遊んでくれる優しい人だった。
正裕さんも音楽好きで小学1年から12年間、ピアノを習った。音大に進もうかと思ったこともある。学生時代は、カントリーバンドやグループサウンズ「ヴィレッジ・シンガーズ」で活動。しかし、音楽の道には進まなかった。「自分で作った曲を聴いてもらったとき、親父(おやじ)は一言、『頭で考えて作っているね』。かなわないなと思いました。音楽では何をやっても超えられない。だから、あえて違う道を選んだ」