戦争のない環境は国民にとり幸せだが、戦闘集団/防衛産業は実戦に学べないハンディを背負うからだ。第一次世界大戦(14~18年)で積極的派兵をしなかったため、大日本帝國陸海軍は欧米列強に比べ一部の装備・編成の進化に後れを取り、大東亜戦争(41~45年)の敗因の一つとなった戦史はいかにも皮肉だ。コンピューターによるシミュレーションも、一層の“実戦化”が求められる。
米軍供与の戦車といえば、52年に引き渡しが始まるM24軽戦車も警察予備隊・保安隊史にその名をとどめる。M4A3E8中戦車に比べ、隊員の評判が良かったようだ。車体がM4A3E8より小ぶりで、日本人の体格に合致していた点がまず指摘できる。もう一つ、冒頭のOBによると「操縦・踏破性能が《テケ車》に近かった」。《テケ車》とは、帝國陸軍が30年代中後期に開発・採用した豆戦車《九七式軽装甲車》を指す。
当然ながらM24戦車も老朽化する。何しろM24は第二次大戦(39~45年)中、北アフリカ戦線において、ドイツ陸軍と死闘を演じた英陸軍のM3軽戦車の戦果分析が、開発の取っ掛かり。大戦後半では時代遅れになっていた。その後の朝鮮戦争で、ソ連製戦車に苦戦した戦訓も契機となり、戦後初となる国産戦車開発を56年に開始する。制式採用は61年。その西暦を採り命名された戦車が戦後第一世代の61(ろくいち)式であった。