「訪れてくれた人にはありのままの姿を見てもらいたい。多くの人が足を運んでくれることが、被災地の復興につながる」
がれき撤去が初仕事
入社は震災が起きたばかりの2011年4月。三陸鉄道では12年ぶりの新卒採用だった。だが、津波で駅舎や鉄橋が流され、すぐに運行が再開できたのは全線(107.6キロ)の3分の1にあたる36.2キロだけ。「本当に就職できるのか」。震災から入社までは不安な日々を過ごした。
先行きも見通せないような状況で、被災した企業から内定を取り消される同級生もいた。それでも予定通り採用された。「復興を担う若い世代に期待する」。望月正彦社長(61)の決断だ。入社後は、がれきの撤去から始動し、そこで鉄道の力に触れた。
再開を待ちわびる沿線住民らが、自発的に駅や線路の清掃などを買って出てくれた。翌年4月1日の北リアス線田野畑-陸中野田間の運行再開では、駅を住民が埋め尽くし、大漁旗で列車を見送ってくれた。