ウクライナ・首都キエフ市街【拡大】
ビクトル・ヤヌコビッチ大統領と野党3指導者が「停戦」に合意した直後の20日、過激な民族主義勢力の連合体「右派セクター」がこんな声明を出し、大規模衝突は再燃した。
ウクライナ人の解放や独立国家を希求する民族主義が、思想的な体系を得たのは20世紀初頭。現在の民族主義勢力は特に、第二次大戦期から1950年代まで対ソ連パルチザン闘争を行ったウクライナ蜂起軍(UPA)の指導者、ステパン・バンデラ(1909~59年)の影響を受けているとされる。
国の西部を基盤とする親欧米派、東部の親ロシア派という二大政治勢力の間で民族派はごく目立たない存在にすぎず、2012年の議会選で民族派野党「自由」がようやく約10%を得票した程度だ。
だが、昨年(2013年)12月には複数のグループによって「右派セクター」が形成され、過激勢力が存在感を増した。