【続・灰色の記憶覚書】
久方ぶりの休みに2週間ほどヨーロッパを散策。大変に充実の旅行だったのだけれど、帰国して日常に戻ったら、あっという間に東京のリズムに呑まれて、楽しく反芻(はんすう)する間もないまま、時はするすると流れていった。普段ならデジカメを携帯してゆくのだけれど、今回は休みに浮かれてびゅんと飛び出してしまったゆえスッカリ忘れてきてしまう。自動的に現代を牛耳る魔法の小箱、スマートフォンで代用ということになる。純粋なカメラとは違って若干ぶれやすいということはあるけれど、なかなかの活躍をしてくれる。そもそもこの連載の写真もこの小箱の写真機能に因(よ)るものが多く、当然それなりに美しく撮れる。
撮っても画像は見返さない
で、何が言いたいのかというと、結局撮った写真をまるで見返していないじゃないかということなのだ。この掌の中にあるというのに、全然見返さない。指をくねらせればすぐにも飛び出るロンドンやパリの景色を引き出さないのは何故なのか。実はデジカメでも似た現象は生じる。撮りっぱなしのままパソコンなどに複写することもなくカメラ内に放置して、次なる旅行の際にデータとして邪魔になり、とりあえずそれほど思い入れのないような写真から随時撮影に併せて消去してゆくといったようなことも度々ある。