日本ではほとんど報道されていないが、ウクライナの政変には、カトリック教会が無視できない役割を果たした。ウクライナ西部ガリツィア地方のウクライナ民族至上主義者の思想的母体は、この地域を拠点とするユニエイト教会(東方典礼カトリック教会、東方帰一教会)である。16世紀末に成立したユニエイト教会は、イコン(聖画像)を崇敬し、下級聖職者の妻帯が認められるなど、外見上は正教会とよく似ている。しかし、ローマ教皇(法王)の首位権と聖霊は父と子(キリスト)から発出するという教義(専門用語では「フィリオクエ」、ラテン語で「子からも」という意味)を認めるカトリック教会だ。ユニエイト教会は、ウクライナ民族独立運動の中核になった。
ガリツィア地方は、1945年にソ連軍によって占領されるまで、ロシア帝国やソ連の領土ではなかった。歴史的にハプスブルグ帝国に属し、18年に帝国が崩壊した後はポーランドの版図に属した。ソ連は46年3月、ソ連共産党の圧力の下で、ユニエイト教会はロシア正教会に吸収された。その後、ユニエイト教会の活動は厳禁された。しかし、ユニエイト教会は地下で活動を続けた。90年2月、ソ連のゴルバチョフ大統領がバチカンを訪問した後、ユニエイト教会の活動再開が認められた。ユニエイト教会はウクライナ民族主義と結びつき、ウクライナのソ連からの分離独立を求める中心になった。