首都ソウル市内で個人賠償を求めてシュプレヒコールを上げる、日本統治時代に日本企業に徴用された労働者や遺族ら。韓国では近代法の精神を無視した異端の立法や判決が恥も外聞もなく続出する=2013年12月4日、韓国(共同)【拡大】
似て非なる仇討ちの変遷
凄(すさ)まじい…。日本でも江戸時代(1603~1868年)、仇討ちは忠義とされ、公的に認められていた。目上の親族の仇は、藩庁などに届けた上で討つことが許された。しかし、たどった過程や幕引きは日韓で似て非なる。以下、文芸評論家・野口武彦氏(76)の著書《維新の後始末=新潮新書》の教えを仰ぎつつ小欄の考えを進める。まず戦国時代(15世紀末~16世紀末)に遡り、仇討ちとは対極にある《喧嘩(けんか)の禁制》より説く。
《国(大名領国)と国との戦争が常態化し(功名争い等)味方内部の喧嘩が、自軍戦力を消耗する無視できない問題になった。戦時立法だった喧嘩両成敗法はしだいに恒久化し、適用範囲も社会全体に拡大。紛争解決は土地の大名裁判権にゆだねられ、私闘は死罪にするぞ、と脅かして抑止する『法による支配』という新たな時代を切り開いた》
従って《忠臣蔵のようなドラマチックなケースは例外で、多くは個人の復讐(ふくしゅう)感情を抑制してまでも、御公儀(ごこうぎ)の裁定に服そうとした。だからこそ、公正な裁判を期待する日本の民衆の気持ちは伝統的に強い》。