何か魂まで抜き取られてしまったようで、もう釣りをする気が起きなかった。僕は川に誘われるまま水に潜り、手に残ったタイメンの重さを感じながら川を下った。
湧き水の多いビキン川は夏も恐ろしく冷たい。倒木の下の深い水の色や川底の石、水草の魅惑的なきらめき。頭がしびれてきたのは水の冷たさのせいだけではない。浅瀬には木漏れ日が燦々(さんさん)と降り注ぎ、小さな宇宙のような空間で稚魚の群れが踊っていた。水中に生命の揺りかごを見た。(写真・文:写真家 伊藤健次/SANKEI EXPRESS)
■いとう・けんじ 写真家。1968年生まれ。北海道在住。北の自然と土地の記憶をテーマに撮影を続ける。著書に「山わたる風」(柏艪舎)など。「アルペンガイド(1)北海道の山 大雪山・十勝連峰」(山と渓谷社)が好評発売中。
■ビキン川のタイガ ロシア沿海地方に広がる自然度の高い森。広葉樹と針葉樹がバランスよく混ざっており、絶滅に瀕したアムールトラをはじめ、多様な種類の野生動物が生息している。