【ソーシャル・イノベーションの現場から】
沖縄県が本土復帰から42年を迎えた今年5月15日、県南部の南城市(なんじょうし)に住む宮里強さん(54)と、いとこら4人がフィリピンに向けて出発した。フィリピンのミンダナオ島に住む叔母にあたるミヤサト・コンチータ・バシランさん(74)と会うためだ。翌日、ダバオ空港で初対面を果たした。
コンチータさんは先の第二次世界大戦に翻弄されたフィリピン残留日本人2世の一人。強さんは「対面できてうれしい。やったという気持ち」と笑顔を見せたが、それもつかの間、「戦後70年、何もできず本当に申し訳なかった」と涙を浮かべた。
戦後の混乱で「無国籍」に
フィリピン残留2世は、主に第二次大戦の終結までにフィリピンに渡った日本人移民の男性と現地女性との間に生まれ、戦後の混乱で現地に取り残された子供たちだ。当時の両国の法律は、父親の国籍を子供が受け継ぐ父系優先血統主義を採用していたことから、2世は間違いなくフィリピン生まれの「日本人」である。