目を開けているのに何の視覚情報も得られない世界に当初は戸惑う。ガイドの指示を頼りに、しゃがんで足もとを確かめたり、水音に近づいて手を伸ばしたり。聴覚だけでなく触覚も重要な情報収集ツールだ。
真っ暗の喫茶店で注文し、手探りで財布から料金を払う体験もできる。店員さんがビールを運んでくると「これはスーパードライ」「いや、エビスじゃないか」と“利き酒”が始まる。私はコーヒーを頼んだ。見えないけれど近づけば分かる。カップから立ち上る湯気。熱いから気をつけよう。
体験後、しばし考え込んだ。例えば今、表面が光るものを見たら、触らなくてもつるつるだろうと思う。だが、そんな経験則がない子供の頃は、触ったりなめたりして判断してきた。私たちがこんなにも視覚に頼り始めたのはいつからだろう。「見える」ことによって私の感性は鈍化したのだろうか。
暗闇の中ではこんなにも多くのものが「見える」のに。何だかもったいない気持ちで帰路についた。(道丸摩耶/SANKEI EXPRESS)