これに対し、東部の状況は格段に複雑だ。プーチン政権の狙いは併合ではなく、東部の混乱をテコにして、(1)ウクライナが北大西洋条約機構(NATO)に加盟しないとの確約を得る(2)ウクライナに連邦制を導入させ、親露的な住民の多い東部に影響力を保持する-ということだった。
しかし、5月のウクライナ大統領選を経てペトロ・ポロシェンコ大統領(48)が政権を発足させると、ロシアは拳の振り落とし所を失い、ジレンマに立たされることになった。
プーチン政権はまず、親露派と静かに距離を置こうとした。ポロシェンコ政権の正当性に疑問を呈するのは難しくなり、米欧が対露制裁を強めれば、自国経済への影響が避けられない。親露派武装勢力には地元住民だけでなく、ロシア民族主義者や軍隊上がりの傭兵(ようへい)、ごろつきらさまざまな者が加わり、もはやクレムリンの思惑通りには動かなくなっていた事情もあった。