引き続き「佐倉義民伝」や、勘三郎さんが体調を崩されてからの「天日坊」にも痺れ続けていた。そして勘三郎さんが亡くなった。ぽっかりとどうしようもないような気持ちになって、訃報を聞いて半日経ってからの慟哭(どうこく)。そのまま歌舞伎にも行かなくなってしまった。勘九郎さん七之助くん獅童さんたち次世代の「天日坊」に、あの漲(みなぎ)る新しいエネルギーにあれだけ感動したのにも関わらず、どうしても行けない。この足が遠のいてしまっていたことも大きい。
飛び込んでみよう
要するに、断る理由は一切なし。寧(むし)ろ半年近く休んでやろうとしていた成果はこのことにあったのではあるまいか。ちょっとした留学だと考えて、飛び込んでみよう。演出助手という立場で何が出来るかわからないけれど、串田さんも私に職業的な助手の仕事を求めることもないだろう。とにかく十八代目中村勘三郎亡き後、最初のコクーン歌舞伎、新しい船出なのだ。やれる限りのことをしよう。勿論盗めるだけのものは盗んでやろう。日本で一番面白いと思う芝居に飛び込めるのだ。そもそもこういう欲望を抱いていなくちゃあつまらない。助手をやるんですよと言うと周りが目を丸くするけれども、それも面白がりつつ、ともあれ串田さんの横にちょこんと腰掛ける。串田さんの頭の中は打ち合わせの段階からくるくるくるくる奇想天外なことを巡らせる。