下座なしで立ち回り
それで話はとうとう本題に入るが、下座なしで立ち回りをやるというのが、これまた厄介なことなのだ。生演奏として入っているパーカッションと附打(つけうち)だけでは、ラスト一面の雪景色の中で行われる大立ち回りと呼応しきれない。そこで録音された現代音楽も流してゆく。録音となると舞台上の呼吸だけでは音楽がはまらなくなってくる。はまらなくてもいい。録音された現代音楽は暴力的に即興的に爆音で入り込んでは、忽(たちま)ちのうちに消えたり遠ざかったりする。と、串田さんはまたまたアバンギャルドなことを言い出す。録音がアドリブ的に立ち回りに入り込むと、役者は調子を失い混乱してしまう。また音楽に一定の流れや展開がないゆえ立ち回りの構成がなかなか決め切れない。それぞれのパートが必死にアプローチするも、噛み合わないことが続く。纏(まと)めようとすれば矮小化され、攻めれば千々に乱れた。音楽監督の伊藤ヨタロウさんも、音響操作の鏑木さんも、立師の(中村)いてうさんも、現場の誰もが幾度も青ざめた。劇場に入って、いざ舞台稽古となってもまだまだ答えは見つからなかった。それぞれに魅力的なアイデアは持ち込まれている。しかしどれもが機能しない。