【本の話をしよう】
夏という季節につきまとう『切なさ』は、いったいなぜなのでしょう。陽光は強く影は濃く、木々の緑も眩しい。暑さを歓迎するように虫は鳴き、日中から子供が元気に自転車をこいでいく。普段は行かないところに遊びにいく。冷たい飲み物はおいしくて、ときどきおやつに茹でトウキビを食べる。夜には花火が上がったりする。とても明るく、自由で開放的で、楽しいはずなのに。
いや、楽しいからこそなのかもしれません。お祭りと同じですね。前夜祭が一番わくわくするみたいなもので、本格的に楽しい領域に足を踏み入れてしまうと、あとはもう、終わりのときが刻々と近づくばかり。うだるような暑さにとろけた水あめみたいになりながら、この暑さもいつか終わるんだと、明るい陽射しを浴びても、この明るさはたぶん一か月の後にはないと思ってしまう。
とりわけ北海道は冬が長く、言い換えれば夜が長いので、陽が日々短くなることが、言い知れぬ悲しさを募らせるのです。
夏休みの特別感も『切なさ』に繋がります。正直な話、決められた時間、学校に拘束されるより、束縛から解放される休みの期間のほうが、子供だっていいに決まっているのです。でも、心待ちにした夏休みの開始は、始業式へのカウントダウンの開始でもあります。この日々が終わらなければいいと願いながら迎える始業式。ああ、やっぱり終わらないものはないんだと、子供心に無常感を覚えた方は、多いのではないでしょうか。