雨晴(あまはらし)海岸から見た女岩。名前に反して、残念ながら雨に煙っていた。まわりの小さな岩と合わせると、母子のように見えることから「女岩」と呼ばれるようになったという=富山県高岡市(井浦新さん撮影)【拡大】
高岡鋳物の歴史についても学んだ。現在の高岡のまちの骨格が築かれたのは、1609(慶長14)年、加賀藩主の前田家の2代目にあたる前田利長が高岡城を築き、入城したのに始まるという。高岡の鋳物の歴史はこのとき、城下の繁栄を図るために、高岡市の南西にある礪波郡(となみぐん)西部金屋から7人の鋳物師を招いて鋳物づくりを行わせたことに始まる。ところがわずか5年後、徳川幕府が公布した「一国一城令(いっこくいちじょうれい)」で高岡城は廃城になってしまう。
そこで3代目利常が、さまざまな保護政策を敷き、まちの存続に努めた結果、高岡は栄え、金屋町の鋳物業も大いに盛り上がり、全国一の産地として躍り出た。
≪実直な営みが美を引き寄せる≫
シンポジウムの前に、人間国宝の大澤光民(おおざわ・こうみん)氏(70)と、伝統を継承する般若保(はんにゃ・たもつ)氏の工房を訪ねた。緊張する僕に大澤氏は「隠すことは何もないので、どうぞ」と写真撮影に応じてくれた。