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菅元首相ら18人分も 吉田調書公開 政府が方針転換 (3/4ページ)

2014.9.12 09:45

東京電力福島第1原発で記者団の質問に答える吉田昌郎(まさお)所長(中央)=2011年11月、福島県(共同)

東京電力福島第1原発で記者団の質問に答える吉田昌郎(まさお)所長(中央)=2011年11月、福島県(共同)【拡大】

  • 公開された主な「聴取結果書(調書)」=2014年9月11日公開、※敬称略、肩書は当時
  • 福島第1原発で6基、福島第2原発の4基を加えて、東京電力は福島県内に10基の原発を抱える=※警戒区域は2012年10月21日現在

 「われわれのイメージは東日本壊滅ですよ。本当に死んだと思った」

 吉田調書によると、2011年3月14日、2号機の原子炉格納容器の圧力が上昇し注水もできない危機的状況に陥った際、吉田氏はこのような表現で当時を振り返った。これまで明らかにされていなかった現場からの認識だ。

 吉田氏は事故後、一度も記者会見を開いていない。吉田調書を作成した政府の事故調査・検証委員会の報告書は、事故の原因や状況を冷静に分析することに努めているため、吉田氏の肉声はほとんど記載されていない。未曽有の事故が進展する中、現場指揮官がどう考え、どう動いたか、これまで伝えられなかったことの方が異常だった。

 メディアに吉田氏が初めて登場したのは、第1原発が報道陣に公開された11年11月。事故から8カ月を過ぎており、許されたのはごく短い時間のいわゆるぶら下がり取材だけだった。メディアの取材依頼は殺到するものの、吉田氏はその後、健康診断で食道がんが見つかり、11年12月に所長を退任。体調は戻らず、13年7月に他界した。

事故時の現場の“感覚” 極めて細かく記録

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