私も何かを、少しずつずらしてみたい、と思った。そこで私はまず手始めに、妹の名前を全く別人の「ゆり子」にすり替えてしまおうと、日に日に彼女をゆり子であるかのように扱ったが、うまくいかなかった。友達を動く椅子のように信じ込ませようとしたが、やはりうまくいかなかった。中学の時は部長の権限をいかして、「テニス部」を「テニスをしないテニス部」に巧妙に変えていこうとしたが、それもまったくの徒労に終わったのである。
強引に言いふくめる不快さ
私に、会話をずらしていく才能がないことは明らかだった。巧みな言葉で人をそそのかすこともできなければ、じっくりと時間をかけるだけの根気や計画性にも欠ける。そもそも「何をどうずらしていくか」というセンスが、決定的になかったのだ。いつしか諦めた。だがおかげで、「ずれているもの」に対しては、妙に目ざとくなった。