もっとも有名なのは、町の名が作品にもなった志賀直哉の『城の崎にて』。だが、他にも与謝野鉄幹・晶子夫妻や島崎藤村、武者小路実篤、有島武郎などなど、来湯の事実ならざくざく出てくる。司馬遼太郎も1963年に『竜馬がゆく』の取材のため、桂小五郎が隠遁していたという「つたや」旅館に宿泊したらしい。
近代文学の先人たちがこの温泉町に来ていた1920~30年頃は、観光という言葉自体は存在したものの、今でいうインバウンド誘致の意味合いが強かったらしい。実際、大衆の観光旅行が日常化し広がったのは1960年以降だから、当時の文学者たちは純粋に湯治のためや、執筆環境の変化のため、もしくは編集者たちの締め切りの追い立てや、その他の煩わしいことから逃亡するため、はるか城崎温泉まで足を運んでいたようだ。わざわざ、ようこそいらっしゃいました。
ちなみに志賀直哉も相撲見物の帰りに山手線の電車にひかれ、その療養のために城崎温泉を訪れたようだ。その温泉街で偶然目にした蜂、ネズミ、イモリの小さな3つの生き物の死。しかもそのうちのひとつは、小説家が石を投げ、偶然にも奪ってしまった命だ。そんなささやかな死と、事故にあっても生きている自分の不思議を一緒くたに混ざりあわせた感触が、『城の崎にて』という12ページばかり(新潮文庫)の名作短編を生み出したのだろう。