しかも、この本がユニークな点は、城崎の町でしか買えないところにもある。冒頭でも書いた、地産地消というか、「地産地読」小説というわけだ。都心の大手出版社でつくるのではなく、旅館の若旦那衆が中心になってつくったNPO法人「本と温泉」から出版されたこの本は、あえて全国流通させず、城崎の町のお土産屋や旅館、外湯のみで販売しているのだ。なるだけたくさん刷り、たくさん売り、たくさん読まれることが本の正義だと信じられてきたが、城崎の磁場だからこそ味わってもらえる読書体験を提案しようとする斬新な試みだ。
だからこそ、この本は防水になっている。そう、温泉街ですもの。城崎は浴衣を着てそぞろ歩きをしながら湯巡りをするのが有名な町だから、外湯に浸かりながら読んでもらおうというわけなのだ。アートディレクターの長嶋りかこが手掛けた驚きの装丁は、表紙がタオル地、というかタオルでできている。そして、本文用紙は水をはじくストーンペーパーを使用。かつて見たこともないような1冊が誕生した。風呂場で読んで、体も洗える本なんて聞いたことがない。
たどりついた外湯でシャンプーやタオルやコーヒー牛乳を買うように、「万城目学の新作を一丁」なんて、番頭さんに言付けても、しっかりと『城崎裁判』はあなたに差し出される。なんとも、乙ではないか。町の磁場に寄り添った小説『城崎裁判』。読み手が物語を味わう状況までつくり出そうとするこの新しい小説のかたちをみたら、文学の先人たちは何というのだろうか?(ブックディレクター 幅允孝/SANKEI EXPRESS)
■はば・よしたか BACH(バッハ)代表。ブックディレクター。人と本がもうすこしうまく出会えるよう、さまざまな場所で本の提案をしている。