サックス奏者のジョン・コルトレーン(1926~67年)やベース奏者のロン・カーター(77)など、マイルスのバンドは将来性のある若手演奏家の発掘と育成が巧みなことで知られ、ハンコックさんの在籍中にマイルスは「マイ・ファニー・バレンタイン」(64年)や「フォア・アンド・モア」(64年)といった名盤を発表した。ハンコックさんは「処女航海」(65年)以降ソロ活動を本格化させ、今日に至っている。米音楽界最高の栄誉であるグラミー賞を14回受賞した。
そんな上り調子だったハンコックさんの人生を変える出来事が起こる。67年、スウェーデンの首都ストックホルムでの夜のステージ。代表曲「ソー・ホワット」(59年)の演奏中、ウエイン・ショーター(テナー・サックス奏者)のソロに続き、マイルスがたたみかけるような演奏でバンドを牽引(けんいん)した直後、ハンコックさんは間違ったコード(和音)を弾いてしまった。
ジャズにとってコード進行は演奏の設計図に等しく、致命的なミスだったが、マイルスはすぐさま間違ったはずのコードに反応し、何事もなかったかのように全く違った楽曲展開で新たなソロを爆発させたのだった。