オーストラリア北部の街「ダーウィン」。その名を耳にして思い起こすのは、進化論で有名な自然科学者、チャールズ・ダーウィンだろう。ダーウィンは1869年、オーストラリア最北の寄港地として開かれた街だが、その30年前、イギリス海軍の軍艦「ビーグル号」の乗組員によって発見された入江に「ポート・ダーウィン」と名付けられたことに由来するという。その乗組員はダーウィンとビーグル号の同船仲間だったのだ。
かつてダーウィンは「トップエンド(北の果て)」と呼ばれ、不毛の地の代名詞だったが、近年液化天然ガスの開発が進み、ウォーターフロントを中心に街は建設ラッシュを迎えた。街のすぐそばには手つかずの大自然が広がり、50以上の民族が住む。異国情緒あふれる食事や多彩な文化が味わえるのが一番の魅力だ。
ダーウィンは約半世紀のうち2度にわたって、壊滅状態となった。1度目は、第二次世界大戦中の1942年、旧日本軍から受けた空襲で、また2度目は1974年のクリスマスイブに起きた巨大サイクロンによって。どちらも建物のほとんどが倒壊し、甚大な被害となった。