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オーストラリア・ダーウィン 異国情緒あふれる果ての街 (1/4ページ)

2014.12.24 14:55

餌めがけて飛び上がるクロコダイルは迫力満点=2014年10月17日、オーストラリア・準州ノーザンテリトリー・ダーウィン(宮崎裕士撮影)

餌めがけて飛び上がるクロコダイルは迫力満点=2014年10月17日、オーストラリア・準州ノーザンテリトリー・ダーウィン(宮崎裕士撮影)【拡大】

  • ダーウィン市民の憩いの場となっているリッチフィールド国立公園。フローレンスの滝の滝つぼの水は透き通るほどきれいで、魚たちと泳ぐ体験は開放感に満ちていた=2014年10月15日、オーストラリア・準州ノーザンテリトリー・ダーウィン(宮崎裕士撮影)
  • 道路脇には一見、墓石のように見えるアリ塚が無数に並び、異様な光景が広がっていた=2014年10月15日、オーストラリア・準州ノーザンテリトリー・ダーウィン(宮崎裕士撮影)
  • ティモール海で取れた新鮮な魚が並ぶダーウィンのフィッシュマーケット=2014年10月16日、オーストラリア・準州ノーザンテリトリー(宮崎裕士撮影)
  • 「クロコザウルス・コーブ」のアトラクション「ケージ・オブ・デス」。巨大なワニを目の前で観察できる迫力満点のアトラクションだ(クロコザウルス・コーヴ提供)
  • オーストラリア・準州ノーザンテリトリー・ダーウィン(州都)

 オーストラリア北部の街「ダーウィン」。その名を耳にして思い起こすのは、進化論で有名な自然科学者、チャールズ・ダーウィンだろう。ダーウィンは1869年、オーストラリア最北の寄港地として開かれた街だが、その30年前、イギリス海軍の軍艦「ビーグル号」の乗組員によって発見された入江に「ポート・ダーウィン」と名付けられたことに由来するという。その乗組員はダーウィンとビーグル号の同船仲間だったのだ。

 かつてダーウィンは「トップエンド(北の果て)」と呼ばれ、不毛の地の代名詞だったが、近年液化天然ガスの開発が進み、ウォーターフロントを中心に街は建設ラッシュを迎えた。街のすぐそばには手つかずの大自然が広がり、50以上の民族が住む。異国情緒あふれる食事や多彩な文化が味わえるのが一番の魅力だ。

 ダーウィンは約半世紀のうち2度にわたって、壊滅状態となった。1度目は、第二次世界大戦中の1942年、旧日本軍から受けた空襲で、また2度目は1974年のクリスマスイブに起きた巨大サイクロンによって。どちらも建物のほとんどが倒壊し、甚大な被害となった。

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