≪「描けるものを描こう」 人生映す≫
伝説的プロデューサー
大阪府泉大津市出身のキーヤンは、京都市立美術大(現在の京都市立芸術大)図案科を卒業後、母校の講師をしていた。ときは1970年安保前夜、世の中には学生運動の嵐が吹き荒れていた。「絵や音楽をするモンが右や左や言っとらんで、ど真ん中のクリエーティブな活動で勝負せなあかん」と考えた。
1969年、京都会館に1500人を集めたコンサート「TOO MUCH」は日本初のロックイベントといわれ、それを皮切りにプロデューサー業に専念した。「カッコええヤツが集まらなあかん」との発想から、京大西部講堂で開かれた「MOJO WEST」コンサートや、米国の反骨ロッカー、フランク・ザッパの公演などをプロデュースした。「日本でロックフェスティバルのわかる唯一の男」として海外にもその名はとどろき、海外の有名ミュージシャンの指名を受けるほどの伝説的なプロデューサーだった。