一方で音楽プロデュースの仕事をしながらも、美大時代に触れたアンディ・ウォーホル(1928~87年)をはじめとするポップアートや、マルセル・デュシャン(1887~1968年)に代表されるコンセプチュアルアートなどの先端アートへの興味は持ち続けていた。腰を落ち着けて絵を描く時間こそなかったが、イベントのポスターやチラシをササッと描き上げてしまう多才なプロデューサーだった。
還暦前の転身
そんなキーヤンがなぜ還暦を前に絵を本格的に描き始めたのか。
他人を盛り上げる裏方の仕事を40年近く続け、どこか踏み切れずにいた。
お金もうけをしてこそ「プロフェッショナル」といわれる日本の風潮にも違和感があった。
そして、なにより「先端アートの人たちよりもっと面白いことをやれる」という自負がずっと内面にあった。
しかし、アートの世界に身を置く友人を見渡すと、純粋なアートだと言いながら誰もやってないことを探す「アイデア探し」に躍起になっていることに気付き、「ものすごいイヤやった」。そんなアートの世界に身を投じたくないと思う一方、「逃げたくない。挑みたい」とも思った。