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多くの人に彼の存在知ってもらえれば 映画「KANO~1931海の向こうの甲子園~」 永瀬正敏さんインタビュー (2/6ページ)

2015.1.9 12:30

写真家の顔も持つ永瀬正敏さん。「祖父が写真館を経営していました。でもカメラを持ち逃げされ、廃業しましてね。僕は祖父の悔しさも胸に抱いて活動しています」=2014年12月9日、東京都港区(野村成次撮影)

写真家の顔も持つ永瀬正敏さん。「祖父が写真館を経営していました。でもカメラを持ち逃げされ、廃業しましてね。僕は祖父の悔しさも胸に抱いて活動しています」=2014年12月9日、東京都港区(野村成次撮影)【拡大】

  • 「僕は小学生時代、地元の少年野球チームでプレーしていたんです」と話す、俳優の永瀬正敏=2014年12月9日、東京都港区(野村成次撮影)
  • 【かざすンAR(視聴無料)】台湾映画「KANO~1931海の向こうの甲子園~」(マー・ジーシアン監督)。1月24日公開(ブレイントラスト提供)
  • 台湾・嘉義市

 1929年、嘉義農林は近藤兵太郎(永瀬)を野球部の監督に迎え、夢の甲子園出場を目指すことになった。一度も試合に勝ったことがなく、すっかり負け犬根性が染みついていた部員たちは、はじめは近藤のスパルタ指導に面食らうが、次第に勝利への欲求を強めていき、本気で練習に取り組むようになる。それからわずか2年後の31年、ついに甲子園切符を手にした嘉義農林は、粘り強いプレーで未知の強豪校を次々と破り、決勝戦へとコマを進める。

 当時のあたたかさ忠実に

 永瀬が出演の打診を受けたのは、俳優生活30周年を迎えようとしていた時期で、本作の撮影時期は自身のもろもろの記念イベントと重なっていた。「最初はどうしようかと思いましてね。でも、台本を読んでみて、とても驚きました。『こんな史実を知らなかった』と…。人種の違いなど関係なく、夢や目標に向かって精いっぱい頑張っていた日本人の先輩がいたことを知り、胸に熱いものがこみ上げてきました。多くの日本人に彼の存在を知ってもらえればいいなと考えて、出演を決めました」

史実重視の姿勢を強調

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