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沖縄の「佐藤演説」 米圧力で修正 外交文書 一般公開  (2/4ページ)

2015.1.16 09:05

1965年8月、ワトソン米琉球列島高等弁務官(左)の出迎えを受けて那覇空港に着いた佐藤栄作首相(共同)

1965年8月、ワトソン米琉球列島高等弁務官(左)の出迎えを受けて那覇空港に着いた佐藤栄作首相(共同)【拡大】

  • 沖縄返還前の米軍嘉手納基地。本土復帰後も極東の重要拠点として維持されている=1969年2月(共同)
  • 沖縄県那覇市の那覇航空基地

 米側は翌18日の日本側との協議で「ワシントンからの訓令」として佐藤氏の演説案に関し「米国施設への軽蔑だ」「沖縄における日米協力に障害がありうる」と強い口調で日本側の譲歩を求めた。

 基地の意義強調

 最終的に日本側は佐藤氏の判断で国映館での演説に関しては譲歩し、18日中の再協議で「日米同盟に基づく安全保障条約で米国と結ばれている。沖縄の安全がなければ日本本土の安全はない。米国の施政下でも経済的進歩があった」などの文言を盛り込むことで米側と折り合った。

 また、日本側は空港到着時の演説最終案に当初案にはなかった「沖縄の祖国復帰が実現しない限り、わが国にとって戦後が終わっていない」との一節を加え、佐藤氏は返還実現への決意をアピールした。

 一方、佐藤氏の沖縄訪問の「土産」として、日本側が強く求めた(1)佐藤氏の沖縄立法府での演説(2)日本国旗の掲揚制限の撤廃(3)沖縄住民への日本旅券発給-は米側に却下されていた。

返還前交渉 「基地30%縮小」で応酬

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