70年11月には愛知揆一(きいち)外相がマイヤー駐日米大使との会談で「象徴的価値のある若干の基地」の返還を要請し、那覇空港や那覇市内の米軍住宅などを例示した。マイヤー氏は「国防総省は米側の財政支出を伴わないと議会に固く約束してきた」などと述べ、移転経費を負担しない考えを強調していた。
同時期の外務、大蔵両省の協議では、外務省側が「現状の75%ぐらいが目標」と説明。多くの軍用地が返還されても「わが国の防衛力から無用の長物になる恐れがある。費用もかかり、かえって迷惑」との発言も出ていた。
72年5月の復帰時には那覇空港などが返還され、沖縄の米軍施設・区域の総面積は353平方キロから287平方キロと、約81%に縮小された。(SANKEI EXPRESS)