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沖縄の「佐藤演説」 米圧力で修正 外交文書 一般公開  (3/4ページ)

2015.1.16 09:05

1965年8月、ワトソン米琉球列島高等弁務官(左)の出迎えを受けて那覇空港に着いた佐藤栄作首相(共同)

1965年8月、ワトソン米琉球列島高等弁務官(左)の出迎えを受けて那覇空港に着いた佐藤栄作首相(共同)【拡大】

  • 沖縄返還前の米軍嘉手納基地。本土復帰後も極東の重要拠点として維持されている=1969年2月(共同)
  • 沖縄県那覇市の那覇航空基地

 沖縄は72年5月に本土に復帰した。

 外務省は15日、外交文書41冊を一般公開した。内容は1965年の佐藤栄作首相による米施政下の沖縄訪問のほか、50~70年代の核を含む軍縮問題が中心。

 ≪返還前交渉 「基地30%縮小」で応酬≫

 1972年の沖縄返還に向けた米軍基地・施設の整理縮小をめぐる日米間の交渉で、日本側が「数値目標」として返還前から30%程度減らし、70%への縮小を目指したのに対し、米側は基地機能の維持と移転費用の日本負担を主張していたことが分かった。

 69年11月に当時の佐藤栄作首相とリチャード・ニクソン米大統領が沖縄返還に合意した後の70年6月から71年4月頃までの機密文書によると、70年6月に在日米国大使館の書記官と会談した外務省担当者は、国内で基地の整理統合に期待が大きいとして「現在の規模の70%前後に縮小すれば、国民の目には整理統合が行われたと映るだろう」と説明した。

復帰時には那覇空港などが返還

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