問うべきは「社会構造」
筆者は75年春のレバノン、シリア訪問以来、アラブ諸国を数十回訪れている。その経験からいえば、アラブ諸国の多く知識人は、西洋列強の植民地政策で国境が人工的に作られ、いまなお国民の利益が西洋企業と王族ら搾取されていると考えている。イスラム教徒がキリスト教徒の十字軍によって少なくとも100万人以上殺害されたことも忘れていない。
正しいかどうかは別にして、搾取の構造によって貧困がなくならないという思想が現地には根強くある。今回の襲撃事件の犯人とされる兄弟はフランスの旧植民地アルジェリアの出身だという。そのアルジェリアが宗主国から独立したのは62年。独立させまいとするフランスは特殊部隊を使って現地住民の指導者の殺害を含む妨害を行ったことは、歴史家であれば誰もが知っていることだ。
シャルリー・エブドの風刺画は、弱者への傲慢な蔑みの表現と受け止められてもやむを得ない。他人の命を突然に奪うテロが許されないことはもちろんだが、こうした「ポリティカル・エコノミー(社会構造)」の議論を抜きに、「メディアの自由」を論じても、同じことが繰り返されるだけだ。(同志社大学社会学部教授 渡辺武達(たけさと)/SANKEI EXPRESS)