日本人がこれほどムスビを重視してきたのには、明確な理由がある。日本のカミは外からやってくる外来神であり、客神だったからだ。ホストの神ではなくゲストの神なのだ。おまけに、いつやって来るかもわからないし、一神教のようには姿がはっきりしない。そこでカミが降臨したり来臨したりするだろうところに、目印の依代(よりしろ)を立て、そこを結界して注連縄や幣(ぬさ・みてぐら)などを結んだのである。これが神社のおこりでもあった。ムスビは神祇のしきたりから生じていったのだ。
それにしても、その結び方や結び目たるや、なんとも多彩、なんとも多様で美しい。その紐(ひも)も美しい。おまけに結びには「三輪(みつわ)結び」「あわび結び」「掛帯結び」「相生(あいおい)結び」など、百種をゆうにこえる結びがあって、それらが真行草の3段階の見せ方をもっている。「あわび返し」なんて結びもある。まことに華麗、まことに優雅だ。
こんなふうに日本の結びを発達させ、維持させてきたのは有職故実(ゆうそくこじつ)のおかげだった。これは奈良末期から平安の延喜天暦の期間に朝廷が「格式」を徹底して組み立て、そこに儀式や行事のルールとツールを事細かに記載したせいだ。それが朝廷行事から公家文化へ、さらに武家文化・町人文化に広まったのである。これからは神社の飾りや和菓子の包みを見ても、水引を見ても、先達たちの有職故実を想うことをお奨めする。