現代美術の作家は、とかく物事をむずかしく考えがちだ。だから、自分の個展に「絵画の存在とその展開について」というようなタイトルをつけたがる。しかし、一見しては真摯(しんし)そうなそんな問いへの答えが、「たんに絵がいろいろに回転するだけ」だったとしたら、どうだろう。もっと哲学的な「真意」を求めていた者は、あっと拍子抜けするだろうか。あるいは怒り出すだろうか。いずれにせよ、この会場で大小さまざまなかたちをとり、いろいろな速度で勝手気ままに回転している同じ一枚の絵が、まぎれもなく「絵画の存在(ぞんざい)とその展開(回転)について」であることに違いはない。だとしたら、この哲学的な問いの「真意」が、この展示風景であったとしても、べつに困る理由などない。
が、個展のタイトルをめぐるこの変更が、もし後者-すなわち不本意な変更であったとしたら、どうだろう。その場合は、「ぞんざいな回転」は、もはや真意にはなりえない。というよりも、「絵画の存在とその展開について」探求した結果、その真意へと到達することに挫折した作者が、やむなく「絵画のぞんざいな回転について」でお茶を濁したことになるだろう。